2017年 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 5 Lakes DNF

今さらではあるが、当時の日記をもとに、2017年の記録をまとめておく。

当時の走力。フルPB3:43、100km PB12:25(サロマ湖)。

5 Lakes 出走者 1064(男子955 女子109 名) 完走者 635名 (男子574 女子61) 完走率 60 % (男子66% 女子56%)

作戦

2016年のサロマ湖で初ウルトラマラソンを12:25で完走し、100kmを超える距離に初めて挑戦。

最後18kmは3時間かかると予想、したがって、100km地点を3時間前には通過したい。 関門6(98.9km)を12時間で通過することを前提にプランを作る。 トイレ、エイドでのロスなど全て含めて 7min/kmで計算すると、関門6は11:32。 中盤以降ペースダウンしてもこれぐらいだったらいけるかな。逆にこれより早いペースは難しいだろうと予想した。

またサロマ湖での経験を生かして、とにかく慎重に進み、飛ばさない事を心がけた。100kmまでは我慢。

レース経過

装備は上からキャップ、ヘッドライト、アイウェア、半袖Tシャツ、ビニールかっぱ、グローブ、短パンと、その上にウィンドブレーカ、シューズ。背中にはトレランザック(6L)。

スタート直後にいきなりアクシデント。トラック周回中に、トラック外周の仕切りに右足つま先をぶつけて転倒。集団のペースが思ったより速かったので、外側に寄ってやり過ごそうとしたのが良くなかった。

打撲箇所には痛みがあったが、骨には異常が無さそうだったので、走りながら様子を見る。最初のエイドを通過した頃から、シューズが濡れている事に気付いていた。間違いなく出血だと思ったが、とにかく明るくなるまでは待ってみる。

第2エイドあたりでかっぱを脱いで足元を見ると、案の定、シューズのつま先部分が変色するほど出血している。このまま止血しなかったらリタイヤだと思いつつ、痛みは収まっていたので走り続ける。

1:58 山中湖関門通過

ビニールかっぱは捨てた。短パンになるには肌寒く感じたので、下はそのまま。出血は止まったようだ。血液を吸ったソックスが足指の周りで固まり始めていた。

焼鳥ふじエイド(28.2km)で傷の手当て。水を流しながらソックスを引き剥がして中を確認。出血は完全に止まっている。濡れたソックスを良く絞ってもう一度履く。足和田で新しいものに変えよう、と思っていた。(しかし、バッグに入れ忘れていた事が後で判明)

4:31 第2関門通過

気温が低かったせいか、40kmまでに2度トイレに入り、ロスタイムが蓄積した。そのあとも、ペースは落ちる一方で、時間的余裕がなくなった。

6:35 足和田関門通過

しかし全体的には、タフなコースの割には、サロマ湖での走りに比べて格段に走れていた。精進湖あたりまで、ほぼ同じペースのランナーについて行ったが、向こうが落ち始めたので追い越し、72km以降、100km組、71km組と別れてからは一人で走ることになった。本栖湖に向かう緩い登りも8分/km代ではあったが走り続けた。

9:19 本栖湖関門通過

いつの間にか貯金が11分しかなくなる。もしかして完走出来ないかも、と思い始める。

次の関門が気になり始めたため、多少のペースを上げ、良いペースで進むことができた。この区間で最も苦しかったのは、坂の上のエイドを過ぎてからの下り。息が苦しく、肺から酸素が取り込めていない感覚があった。このまま倒れるのか?と、やや心配になった。さらに、後で思い返すと、ちょっと意識が朦朧としていたようで、「なんで一人で走ってるんだろう?さっきまで一緒にいた仲間はどこに行った?」みたいなことを考えていた。もちろん、終始一人で走っていたのだが。少しペースを落としたらすぐに回復した。

精進湖をすぎてからの緩い登りは少し歩きを交えたが、98.9kmの関門までは6分台で押し通した。しかし最終的にはこれがトドメになってしまった。

12:24 西湖公民館関門通過

98.9kmの関門に到着したのは制限時間のわずか1分前で、しかも関門位置を98.5kmと思い込んでいて余裕がなかったため、少しペースを上げざるを得なかった。

60kmくらいから始まっていた、右足膝裏の痛みが酷い。関門通過後、ボトルにカルピスを入れ、ほとんど休まずに出発する。もう時間がなかった。走っている間は、痛みをそれほど感じなくなるが、休んだ直後は厳しい。次の関門は14km先で、これを1時間50分で走れば良い。普段ならジョギングでも1時間ちょっとぐらいの距離。走り始めながらペースを確認すると、(確認しなくてもわかるが)8分/kmを超える程度。この区間は平均7'44"以内で走る必要がある。少し歩いて回復を待ってみるが、とてもとても。

体がどんどん冷えてくるので、ウィンドブレーカの上下を着る。持っていてよかった。ザックには万一のためにレスキューシートを入れていたが、もう少し状況が悪化したら、これも使うところだった。

足和田チェックポイントまで歩いたら、ちょうど最後尾の車ともうひとりのランナーが追いついてきた。ちょうど収容バスが待機して、ここで終了となった。バスで、ほぼコースをなぞりながら会場駐車場まで戻る。時刻はまだ17:30過ぎ。大勢のランナーが走っている。ボリュームゾーンはかなり前方にあったことが改めてわかった。バスを降りてからは歩くのも不自由で、荷物を回収してそのまま駐車場へ戻る。雲が少し残ってはいたが青空に白い富士山が映える。トラックからは歓声が聞こえ、まだまだランナーが帰ってきている。

時間切れDNFは初めての経験。なんとも言えない悔しさが後に残った。

まとめ

今回、補給をある程度自分で賄うためにトレイルザックを持って行ったが、結果的には食料はエイドでの補給で十分だった。ただし、小さなボトルをもち、常に給水できる安心感は大きかった。また、今回のように最後に走れなくなった際に着用できる防寒着を持っているのも安心だった。多少重いが、ウェストポーチよりも密着度が高く、邪魔にならなかった気がする。周りを見渡すと、手ぶらとリュックが半々だったろうか。

チャレンジ富士五湖では、118kmの部がスタートして30分後から100km、71kmが順次スタートする。100kmのトップに抜かれたのは、山中湖に入る手前。その後、たくさんのランナーが合流するが、距離が進むにつれて100km、71kmのランナーのうち、比較的遅い人たちと一緒に走ることになる。気づいた時には、周りには118kmランナーはほとんどいなくなっていた。

ランナーズアップデートより、完走者の40kmの通過タイムを調べると、自分も含め4:30-35に通過したランナー65名のうち完走できたのはわずか15名。おそらく、サブ4ギリギリ程度の実力で完走するのはかなり難しいと思われる。

一方で関門時刻の設定は適当ではないだろうか。今回は98.9km通過がギリギリでダメージが大き過ぎたが、ここを体力的にも時間的にも、もう少し余裕を持って通過する事が必要だ。