2018 OSJ奥久慈トレイルレース50K(DNF)

はじめに

2018年6月3日、初めての本格的トレイルレースに出場した。

難コースとして知られるOSJ奥久慈トレイルレース。 コースは、50Kと30Kの2種類。 そのうち50Kは、50kmではなく、50「くらい」と理解されている。 実際の距離は、公式サイトによると59km。獲得標高は4000mくらいらしい。

本格的なトレイルレースは初めてだが、地元近くのトレイルコースを使った20-30kmのランニングは時々行っているし、登山も好きなので、ある程度は走れる方だと思う。さらに茨城県在住なので、気軽に下見に出かけられるというメリットがある。しかし過去の完走率やブログからの情報は、レースの過酷さを伝えて余りあるので、エントリー前の昨年秋に、30Kコースの試走をした。30Kコースは、50Kの後半半分に相当する。10時間半の制限時間に対して、7時間ほどで走り切ったが、普段のトレイルコースとは違い、激しいアップダウン、沢沿いに苔むした岩を超えて進むルート(寺入沢)や東金砂神社から始まる林道と、このレースの特徴を全て備えていた。

30Kは走れることがわかったので、不安に思いながらも、力試しのつもりで50Kにエントリー。

準備

3月に1回目の下見。第1関門の持方に車を止めて第2関門に向かう。しかし予習が不十分で、途中ルートを外れてしまったりして時間をロスして、半分くらいしか進めなかった。

その後5月はじめに、2回目の試走。関門時刻や、その後の所要時間を考慮すると、第1関門から第2関門までは4時間以内で走ることが必要。実際には、ちょっと寄り道したとはいえ、6時間近くかかり、完走など以ての外、第2関門通過すら容易ではないことがわかった。 その後、同じコースをもう一度(階段抜きで4時間)、さらに後半部分の試走を一度して、本番を迎えた。

レース

5:30出走。トレイルの入り口での渋滞を少しでも回避するために先頭から3分の1あたりに並ぶ。最初の数kmのロードは、フルマラソン並みのスピードで進むが、それでも後ろからガンガン抜かれる。もはや自分が全体のどのあたりにいるのかさっぱりわからない状態でトレイルに到着。近くの方とお話しすると、UTMFとかSTYとか、サブ3.5などハイレベルな単語が飛び交うので、それほど後方にいる訳ではなさそうだ。

最初の急登を過ぎると流れ始める。やはり時間が気になるのでペースは早め。周りに比べると、私は登りが速く、下りが遅いようで、追い越されたり追い越したりしながら進む。白木山をクリアして第1関門には、予定通り2:30で到着。 エイドで給水し、トイレを済ませてすぐに出発。

奥久慈男体山(試走時)

先のことを考えると、なるべく足を温存して進みたいが、奥久慈男体山への登り、続いて急な下り、降りたと思ったらまた登り、を延々繰り返すうちに足はどんどん削られる。鷹取岩辺りまで来ると、所々で立ち止まる人も増えて来る。一方で、スタートで出遅れた速いランナーが後ろから結構な勢いで迫って来るので、時々道を譲る。何度か下りで滑って尻餅をついたり、岩の出っ張りや木の根につまずいてバランスを崩したり(今回は転倒に至らなかった!)、その度にちょっとずつ足にダメージが蓄積される。

鷹取岩と奥久慈男体山(右奥)(試走時)

1回目の渡渉は11:20頃(スタート後5:50)。第2関門には6:30で着きたいと思っていたが、この先2回の渡渉とその間の急登、さらに竜神大吊橋までのロードと階段があるので、ほぼ無理。この時点でかなり心が折れた。

1回目の渡渉(試走時)

ダム沿いのロードは下りだけ走る。途中、私設エイドでコーラとマンゴー。普段飲まないコーラも、この時は五臓六腑に染み渡るうまさ。そして冷たいマンゴーとパイナップル!生き返った。

第2関門は7時間あまりで通過。もう足は終わっていた。後半の林道を走れる気がしない。完走の見込みはほぼない(これはあとでデータで証明する)が、名物の「赤岩エイド」にはぜひ行きたいので、冷たいかぶり水をして出発。赤岩への登りは、これまで何度も登っているが、こんなに急だったか?と思うほど苦しかった。

この先はエイドレポートのみ。

「赤岩エイド」では、名物のおこわや野菜、果物、最後の1本だったリポDまでいただく。今回、大会スポンサーが、「赤岩の皆さんへのメッセージカード」を企画した。前日の受付でもらったカードに感謝のメッセージを書いて渡すというもの。カードを渡すと、「次回はもっと早く来てね!」とのお誘い。これまた名物の、赤岩の押し花カードは全て配布してなくなったとのことだった。再会を約束して出発。

寺入沢(試走時)

前後にランナーがいなくなり、寺入沢を一人で通過して、砂防地区エイドに到着。ここでもたっぷり補給。「今から挽回して!」との励ましをいただく。威勢良く返事はしたものの、近くのスタッフには、回収バスがどこに来るかこっそり確認。東金砂神社まで進み、そこで終わりにしようと思う。その先の長い林道はとても走れそうになく、3時間くらいはかかりそうだった。

東金砂神社までは急な坂。途中、私設エイドで冷たいシャワーを浴び、別のお宅ではお庭のゆずピールをいただく。私設出張エイドでスポドリを頂いた時には、その時着ていたチャレ富士Tシャツを話題に歓談。なんとか神社到着してリタイヤ。自分からリタイヤ宣言するのは初めてだった。自分が最後尾かと思ったらそんなことはなく、結構な人数が後から登って来た。しかも躊躇せず第3関門に向かう方がたくさん。「楽しんでいるうちに良いことがあるよ!」と話して境内の階段を駆け上がる人も!

確かに!完走だけがレースではない。トップ選手はともかく、我々はこの旅を楽しむために来ていたのだった。(かといって足は動かない) しかも、大会側は、関門に間に合わないからといってランナーを止めることはせず、最後までランナーを待っているようだった。 素晴らしい大会、素晴らしいランナーたちだった。

データで振り返る〜来年に向けて

大会から、リザルトが公開された。

今回の50K完走率は44%。54%だった昨年に比べて、暑さのためかかなり完走率は低い。

完走者の関門通過タイムを集計してみる。 まず、第1関門(持方)通過タイム毎の通過者。そのうち、緑の棒は完走者数。 ここでは、2:15〜2:20の間に通過した人が最も多く、60名。そのうち完走したのは35名。 私は2:30過ぎだったが、このタイムだと42人中6名しか完走できていない。

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次に第2関門(竜神大吊橋)。 関門通過者が最も多かったのは、6:00〜6:20で、この時間帯の完走率は 73% (57/78)。 一方私が通過した7:00以降は、なんと完走者ゼロ。 完走するためには、もっともっとペースを上げて、しかも後半への体力を温存しておかなければならないとは。。。

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なお、第3関門を通過してしまえば、かなり完走は近くなる。

全体をまとめる。(独自の集計であり、公式の数字ではない)

  • 出走者 590名
  • 第2関門通過者 459名(78 %)
  • 第3関門通過者 283名(48 %)
  • 第4関門通過者 262名(44 %)
  • 完走者     262名(44 %)

来年の目標

まずは第3関門通過か…

2016年 サロマ湖100kmウルトラマラソンの記録:サブ4へのステップ

はじめに

今年も、サロマ湖ウルトラマラソンが近づいてきた。今年は、4月に富士五湖、6月3日に初めての本格的トレイルに参戦したばかりなので不参加だが、私にとっては、2016年のサロマ湖は初めてのウルトラだっただけでなく、サブ4と、それに続いてランニングに熱を上げ始めるきっかけとなったので、当時の記録を振り返ってみる。

当時の走力とエントリーまで

フルの自己ベストは、4:21(前年1月の勝田マラソン)。年1回のフルマラソンは確実に完走できるようになり、記録もほんの少しずつ伸びていた時期だが、サブ4は届きそうにない遠い目標だった。

ウルトラマラソンの100kmは、これまた想像すらできない距離だったが、だからこそ挑戦のしがいはあると思い、実は前年の2015年にエントリーを試みた。ところがエントリー項目入力中に定員に達し、残念なようなホッとしたような。一方でこれだけの人気を集めるレースなら、一生に一度くらいチャレンジしてもいいだろう、と、実力はともかく、2016年は晴れてエントリー完了。もう後戻りできない。

ウルトラ対策

2016年勝田マラソン後からサロマ湖に向けて練習。月200kmを目指したが、実際は150-190kmほど。ただし、週1回は20kmあるいはそれ以上の距離を走るようにした。走れない週でもサイクリングなどで補うようにした。飲み会会場まで10-16km走ったことも4回。また、近くのハイキングコースを使ったトレイルランを増やした。車道を走らずに済むし、足への負担も軽いような。キツイ登りは歩けば良いし。これは楽しかった。

長距離走として4月に36km、5月末に50km走った。特に5月は気温も高く、40km以降はほとんど歩かざるを得なかった。この時点でかなり不安になる。

6月に入ってから出張が続きまとまった時間が取れなかったが、直前の6/17(金)に休暇をとって60kmロード走。30度近い暑い日で、特に途中の峠道では全く走れなかったが、午後、気温が下がってから復活。40-60kmをほぼ走り通して、大きな自信につながった。完走の可能性も出てきたか。

その後、ゆっくり10km走を2回行って当日を迎える。

レース経過

レース当日の6月26日は雨の予報。スタート時はまだ降っていなかった。服装に迷うが、いつも通りの半袖とランニングパンツ。それにキャップとサングラス。ウエストポーチにiPhone。54.5kmの荷物に長袖の着替え、予備シューズ、バッテリーなどを入れる。ゴール荷物には移動中に着るウィンドブレーカなど。補給は全てエイドでまかなった。

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序盤は非常に順調。6:05/km前後で安定して走行。雨は断続的に降るが、特に問題なし。サングラスが曇るので、外してポケットに入れる。

42.195kmは4:23くらい。軽〜く通過した感じ。それでも自己ベストに近いタイム。 54.5kmエイドまでの間の坂も特に問題ない。むしろ周りのペースが落ちるので、だいぶ抜いた。ここも含めて、やはり少し頑張りすぎていたのかもしれない。ペースを保つということ、さらに周りより速く走るのは気分がいいし、貯金を稼ぐという意識も手伝って、実力以上のペースで走っていたのかもしれない。

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54.5kmに着く頃には、エイドが少し待ち遠しくなっていた。雨で濡れたウェアを着替え、さらに後半の体温低下を考慮して長袖を着た。シューズはまだ乾いていたのでそのまま。ちょっとゆっくりしすぎて、20分滞在していた。休憩後の走り始めはきつかった。さすがにダメージが蓄積しているようだった。それでも登りも含め、ほぼ同じペースで走り続ける。

60kmを過ぎて魔女の森(周りの人に言われてわかった)に入る頃からペースが落ち、65kmでは何とかギリギリ走れている状態。これまでの快調が嘘のようだった。とにかくエイドで立ち止まって少しでも休み、前に進む。

70km通過はちょうど8時間。残り30kmで5時間あれば、完走は間違いないだろう。

そうこうしているうちに、75kmあたりから、また走れるようになる。なんと、6:30/kmで走っていた。60km練習の時のように、ここから20km走れればゴールはすぐのはずだ。80km手前のエイドでしっかり食べてトイレも済ませて終盤に備える。80km地点通過は9:30。ここまで10時間でくれば完走できると思っていたので、まずは一安心。あとはいかにしっかり走るか、である。

前日に経験者から聞かされていた通り、ワッカの入り口はキツイ登り。頑張って走ったが、やはり電池切れ。折り返して戻ってくるランナーは、サブ10を目指す人たち。速い。それを見ながらゆっくり進む。自分では走っているつもりだが、ほとんど徒歩と区別できないくらい。長い長いワッカを往復して、残り3kmだが、着地の衝撃が全身に響いてとてもスピードを上げられない。しかし歩くランナーは確実に抜き、さらにゆっくり走るランナーも抜いてとにかく進む。ゴール前の500mはなんとかペースを上げて、12:26でゴール。

おわりに

100kmの完走は、その後のランニングへの取り組み方を大きく変えたような気がする。これを境に、フルマラソンはシーズン3レース程度に増えたし、ウルトラも、毎年走っている。何と言っても、途中の42km通過が当時の自己ベストに近いタイムで、しかもウォーミングアップ感覚で通過できたのは驚きだった。ペース配分が如何に大事かを思い知らされた。(それ以前は、前半ツッコミ撃沈型であったのを改めて認識した)

トレーニングやランニングフォームも、自己流ではあるが研究した。色々な人の色々な意見があるが、共通していると思われるのは、骨盤の前傾と、重心での着地。あとは早めのピッチ。これらを心がけた結果、ピッチが175から185程度に上がり、着地がフォアフット気味になった。フォアフット(実際はミッドくらい)は、最初は足首付近がキツくて続かなかったが、1ヶ月くらいで慣れた。同時に、臀筋の筋肉痛が発生。さらにふくらはぎが少し細くなった。

しかし、一番変わったのは、夏場も走り続けるようになった事かもしれない。

ともかく、その年の秋、意を決してエントリーした大田原マラソンで、晴れてサブ4を達成して現在に至る。

サブ3.5はまだもう少し先になりそうだが…

2017年 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 5 Lakes DNF

今さらではあるが、当時の日記をもとに、2017年の記録をまとめておく。

当時の走力。フルPB3:43、100km PB12:25(サロマ湖)。

5 Lakes 出走者 1064(男子955 女子109 名) 完走者 635名 (男子574 女子61) 完走率 60 % (男子66% 女子56%)

作戦

2016年のサロマ湖で初ウルトラマラソンを12:25で完走し、100kmを超える距離に初めて挑戦。

最後18kmは3時間かかると予想、したがって、100km地点を3時間前には通過したい。 関門6(98.9km)を12時間で通過することを前提にプランを作る。 トイレ、エイドでのロスなど全て含めて 7min/kmで計算すると、関門6は11:32。 中盤以降ペースダウンしてもこれぐらいだったらいけるかな。逆にこれより早いペースは難しいだろうと予想した。

またサロマ湖での経験を生かして、とにかく慎重に進み、飛ばさない事を心がけた。100kmまでは我慢。

レース経過

装備は上からキャップ、ヘッドライト、アイウェア、半袖Tシャツ、ビニールかっぱ、グローブ、短パンと、その上にウィンドブレーカ、シューズ。背中にはトレランザック(6L)。

スタート直後にいきなりアクシデント。トラック周回中に、トラック外周の仕切りに右足つま先をぶつけて転倒。集団のペースが思ったより速かったので、外側に寄ってやり過ごそうとしたのが良くなかった。

打撲箇所には痛みがあったが、骨には異常が無さそうだったので、走りながら様子を見る。最初のエイドを通過した頃から、シューズが濡れている事に気付いていた。間違いなく出血だと思ったが、とにかく明るくなるまでは待ってみる。

第2エイドあたりでかっぱを脱いで足元を見ると、案の定、シューズのつま先部分が変色するほど出血している。このまま止血しなかったらリタイヤだと思いつつ、痛みは収まっていたので走り続ける。

1:58 山中湖関門通過

ビニールかっぱは捨てた。短パンになるには肌寒く感じたので、下はそのまま。出血は止まったようだ。血液を吸ったソックスが足指の周りで固まり始めていた。

焼鳥ふじエイド(28.2km)で傷の手当て。水を流しながらソックスを引き剥がして中を確認。出血は完全に止まっている。濡れたソックスを良く絞ってもう一度履く。足和田で新しいものに変えよう、と思っていた。(しかし、バッグに入れ忘れていた事が後で判明)

4:31 第2関門通過

気温が低かったせいか、40kmまでに2度トイレに入り、ロスタイムが蓄積した。そのあとも、ペースは落ちる一方で、時間的余裕がなくなった。

6:35 足和田関門通過

しかし全体的には、タフなコースの割には、サロマ湖での走りに比べて格段に走れていた。精進湖あたりまで、ほぼ同じペースのランナーについて行ったが、向こうが落ち始めたので追い越し、72km以降、100km組、71km組と別れてからは一人で走ることになった。本栖湖に向かう緩い登りも8分/km代ではあったが走り続けた。

9:19 本栖湖関門通過

いつの間にか貯金が11分しかなくなる。もしかして完走出来ないかも、と思い始める。

次の関門が気になり始めたため、多少のペースを上げ、良いペースで進むことができた。この区間で最も苦しかったのは、坂の上のエイドを過ぎてからの下り。息が苦しく、肺から酸素が取り込めていない感覚があった。このまま倒れるのか?と、やや心配になった。さらに、後で思い返すと、ちょっと意識が朦朧としていたようで、「なんで一人で走ってるんだろう?さっきまで一緒にいた仲間はどこに行った?」みたいなことを考えていた。もちろん、終始一人で走っていたのだが。少しペースを落としたらすぐに回復した。

精進湖をすぎてからの緩い登りは少し歩きを交えたが、98.9kmの関門までは6分台で押し通した。しかし最終的にはこれがトドメになってしまった。

12:24 西湖公民館関門通過

98.9kmの関門に到着したのは制限時間のわずか1分前で、しかも関門位置を98.5kmと思い込んでいて余裕がなかったため、少しペースを上げざるを得なかった。

60kmくらいから始まっていた、右足膝裏の痛みが酷い。関門通過後、ボトルにカルピスを入れ、ほとんど休まずに出発する。もう時間がなかった。走っている間は、痛みをそれほど感じなくなるが、休んだ直後は厳しい。次の関門は14km先で、これを1時間50分で走れば良い。普段ならジョギングでも1時間ちょっとぐらいの距離。走り始めながらペースを確認すると、(確認しなくてもわかるが)8分/kmを超える程度。この区間は平均7'44"以内で走る必要がある。少し歩いて回復を待ってみるが、とてもとても。

体がどんどん冷えてくるので、ウィンドブレーカの上下を着る。持っていてよかった。ザックには万一のためにレスキューシートを入れていたが、もう少し状況が悪化したら、これも使うところだった。

足和田チェックポイントまで歩いたら、ちょうど最後尾の車ともうひとりのランナーが追いついてきた。ちょうど収容バスが待機して、ここで終了となった。バスで、ほぼコースをなぞりながら会場駐車場まで戻る。時刻はまだ17:30過ぎ。大勢のランナーが走っている。ボリュームゾーンはかなり前方にあったことが改めてわかった。バスを降りてからは歩くのも不自由で、荷物を回収してそのまま駐車場へ戻る。雲が少し残ってはいたが青空に白い富士山が映える。トラックからは歓声が聞こえ、まだまだランナーが帰ってきている。

時間切れDNFは初めての経験。なんとも言えない悔しさが後に残った。

まとめ

今回、補給をある程度自分で賄うためにトレイルザックを持って行ったが、結果的には食料はエイドでの補給で十分だった。ただし、小さなボトルをもち、常に給水できる安心感は大きかった。また、今回のように最後に走れなくなった際に着用できる防寒着を持っているのも安心だった。多少重いが、ウェストポーチよりも密着度が高く、邪魔にならなかった気がする。周りを見渡すと、手ぶらとリュックが半々だったろうか。

チャレンジ富士五湖では、118kmの部がスタートして30分後から100km、71kmが順次スタートする。100kmのトップに抜かれたのは、山中湖に入る手前。その後、たくさんのランナーが合流するが、距離が進むにつれて100km、71kmのランナーのうち、比較的遅い人たちと一緒に走ることになる。気づいた時には、周りには118kmランナーはほとんどいなくなっていた。

ランナーズアップデートより、完走者の40kmの通過タイムを調べると、自分も含め4:30-35に通過したランナー65名のうち完走できたのはわずか15名。おそらく、サブ4ギリギリ程度の実力で完走するのはかなり難しいと思われる。

一方で関門時刻の設定は適当ではないだろうか。今回は98.9km通過がギリギリでダメージが大き過ぎたが、ここを体力的にも時間的にも、もう少し余裕を持って通過する事が必要だ。

2018年 第28回 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 5 Lakesの部 完走記

はじめに

2度目のチャレンジ富士五湖118km。昨年は104km過ぎでDNFだったため、今回は何としても完走したい。

練習

直前3ヶ月の走行距離は月間200km程度。平日5-10kmを数回、週末にトレランも取り混ぜながら20km程度。レースは1月末にフルでPB更新(3:36)。2週間前にハーフPB100分ちょい。同日午後に20km余りのトレラン。これはキツかったが、根性はついたかもしれない。そのほか、月1回程度80-100kmサイクリング。

作戦

去年のデータを見ると、自分のペースは、序盤から既に完走ギリギリの位置だった。

加えて、エイドでのロスが大きかった。特に往路のステラシアター、足和田、本栖湖駐車場では、それぞれ10-15分も費やしていた。 したがって、今回の作戦に悩む余地はない。 序盤から無理しない程度に飛ばす。キロ6分を目指す。最後の20kmは3時間かかると予想し、西湖公民館の関門(98.9km)は16:00までに通過するのが最低ラインと位置付けた。 そしてエイドでは極力止まらない。ドロップバッグは準備するが、あくまでトラブル対応のための衣類シューズと補給だけにして順調ならスルーすることに。

去年はトレランリュックで走ったが、今回は軽量化のためにこれもやめる。ただし手元にドリンクは持っていたい。考えた末に、100円ショップのドレッシングボトル300ccをマジックテープでウェストポーチにくくりつけた。ウェストポーチには現金2000円、絆創膏数枚、スマホ、そして念のためにパワージェルを1パック。

前日

18:00、車で富士五湖入り。河口湖南岸の道の駅かつやまで車中泊することにした。 ここは106km付近。去年はここまで来られなかった。明日は必ず戻ってくる、と気合を入れる。道の駅裏手、坂を登ったところに第2駐車場があり、こちらは空いている上に、街灯がなくて寝るには好都合だった。甲州ほうとう「小作」で熟瓜ほうとうの夕食。一目でランナーとわかる人がチラホラ。向こうもそう思っているに違いない。

コンビニでオニギリ、ドーナツと水を買って道の駅に戻る。車の中で、ドーナツを食べながらレース中の装備を考える。翌日の予想最高気温は25℃以上。半袖短パンが基本だ。しかしこの日、日中は暑いほどだが18時を過ぎると気温が下がって、じっとしていると寒い。

序盤はウィンドブレーカを着るとして、夕方、身体が動かなくなってからの対策はどうするべきか?ウィンドブレーカを持ったまま走る?結局、軽量化を優先して、ウィンドブレーカはヘッドライトと一緒に山中湖で預け、ドロップバッグに長袖シャツを入れた。長袖に着替える最後のチャンスは75km地点だが、着替えるかどうかはここの通過時刻で判断する。関門時刻13:30ギリギリだと、かなり身体は参っているはずで、その後も時間がかかって冷えてくると予想される。その場合は着替える。13:00前に余裕を持って到着した場合は、自分の身体を信じてそのまま進む。

結論。上から、バンダナ、アイウェア、半袖シャツ(身体に密着するもの)、グローブ(途中で落とした)、ウェストポーチとドレッシングボトル、短パン、五本指靴下、シューズ。 朝のみウィンドブレーカとヘッドライト。

考えがまとまったところで、21時就寝。

当日

2:00起床。23:30に目が覚めてから眠れなくなり、ウトウトし始めたところでアラーム。ウェアを来て、荷物の確認をして出発。道の駅駐車場はかなり埋まっていたが、まだ動きはない。118kmの選手はあまりいない?

北麓公園駐車場にはかなり車が入っていた。2回目で勝手は分かっているので、アーリーエントリー景品を受け取り、体育館2階で準備する。朝食はおにぎり。

3:40トラックに移動。ドロップバッグを預け、競技場入口のテントであんパン、梅干し、ジェルなどを食べる。とにかく食べられる時に食べておく。

レース

4:00スタート。まず競技場を1周。去年、右足爪先を強打したトラック仕切りを探したが見つけられなかった。慎重に、かつ、ペースが落ちないように気をつける。序盤は集団走なので流れに乗って。ライトを持っている人は半分くらいか。これぐらいいれば、十分足元が見える。

30分くらいで空が白んで来て富士山が浮かび上がる。絶景に感動!富士山が大きい。

山中湖手前で100kmのトップランナーに追い越される。速い!

17.4km関門手前のトイレが空いていたので利用。エイドでおにぎりと味噌汁。さらにウィンドブレーカとヘッドライトを預ける。待ち時間なし。

ここまで平均、キロ6分10秒くらい。極めて順調。

引き続き山中湖を走る。湖越しの富士山、さらに水面に映る逆さ富士。何枚か写真を撮ったが、その度にわずかずつリズムが狂い、さらに集中力も乱れるので、この後撮影はしないことに。

次のエイドで、ドレッシングボトルを取り出し、スペシャルドリンクを作った。少しずつ飲むのが自分のペース合うようだ。

山中湖を抜け、30km前後で、素晴らしく安定したフォームで走る方としばらく並走。きっと、こういう人についていけば間違いないのだと思いつつ、気ばかり焦る初心者ランナーは追い越してしまう。 ナンバーを覚えてあとで記録を調べると、私よりも1時間以上先にゴールしていた。流石だ。

北麓公園に登っていくと、大量の71kmランナーと合流。ペースが落ちないようにランナーの間を縫って登る。

第2関門をクリアし、40km通過は4:12。4:20を完走ラインと考えていたので、上出来。長い下り坂は慎重に。去年はここでダメージがあった。途中、目の前のランナーが転倒。自分も去年転倒しているので、思わず声をかけた。返事があったので、そのまま続行。

坂を下りるとステラシアターのエイド。オレンジ、パン、レーズンなどたっぷり補給。

河口湖に入って、広い歩道を進む。47.8kmエイドで黒玉を頂く。かぶり水で手と顔を洗い、2回目のトイレを済ませて再開。

50km通過は5:20。少し脚が重くなりペースが落ちてくる。でも焦らず淡々と。気温も上がり、厳しいレースになって来た。

足和田関門は10時前に通過。去年より35分早い。予定通りバッグは受け取らず補給とかぶり水(初体験)して出発。出てすぐの急坂は、信玄桃と水を補給しながら歩く。食べ終わっても走り出せず、歩いて登る。この辺り、無理しなかったのも良かったのかもしれない。トンネルから走り始める。

去年は、復路、一人でトボトボ歩いていたところだ。今日の帰りはどうなっているか。あるいは帰って来られるのか?

60km通過は6:31。この区間はキロ7分超え。辛抱の時間。

西湖、通称うどんエイド、カステラエイドを経て精進湖へ。この区間はエイドの間隔が短く、辛いながらも目先の目標が立てやすかった。

70kmは7:47。このペースだと本栖湖関門は、完走ラインとして設定した13時よりもかなり早く通過することになる。今年は行けるかもしれない。

精進湖を抜けて、いよいよ118kmランナーの特典、本栖湖1周コースへ。急ではないが長い登り坂はこたえる。既に本栖湖を終えて戻って来た速いランナー達とすれ違うが、彼らにも、心なしか疲れが見える。

本栖湖関門到着は12時半。予想を上回る快走。ちょっと迷いが出てバッグを受け取った。ジェルを取り出そうかと思ったのだが結局やめた。70km過ぎに補給したジェルが口に合わず、食べる気がしなかった。暑さで食欲もなくなっていたようだ。今思うとちょっと危ない状況だったかもしれない。むしろ固形物の方が食べられたので、パンをかじりながら歩いて出発。

70kmあたりから背中が辛くて姿勢を保てないと感じていた。今回、身体的に最も辛かったのは背中だった。体幹の鍛え方が足りないのだろうか。そのせいで、本栖湖の長い登りもノロノロとしか進めない。途中、足取りの軽い女性ランナーに抜かれた。素晴らしい足運びだった。

本栖湖エイド(79km)で、一枚だけ写真を撮った。気温は高いのだろうが、湖を渡る風は爽やかだ。

ここで、ドレッシングボトルが邪魔になり、捨てた。が、せめてもう一区間持っていれば良かった、とすぐに後悔した。この辺り、エイドの間隔が少し広くこの頃のペースだと30分くらいかかる。私設エイドもない。去年はこの辺りで呼吸が苦しくなり、頭が朦朧としていたが、今年は大丈夫。

80km通過は9:08。いよいよキロ8分まで落ちた。次の関門(98.9km)までは3時間以上あるが、確実に完走するには2時間50分で通過したい。潰れて歩いたら間に合わない。この区間が勝負だ。

本栖湖1周を終えて、3回目のトイレを済ませて気分転換し、ゆっくり走り始める。時刻は14:00。ここの関門時刻は過ぎているが、まだポツポツとランナーが入ってくる。みんな、励ましの声をかけてくれる。その気持ち、よくわかる!去年、収容バスからゴールを目指すランナーの姿に感動し、心の中で激励したのを思い出した。

西湖へ向かう下りを走ると、いつのまにか身体が軽くなり、姿勢ももとに戻った事に気付いた。

90km 通過10:25 区間ペース 7'46"

100kmランナーと合流すると、すぐに旧精進小学校エイド。ここのおにぎりを楽しみにしていた。2個頂き、コーラも投入。ちょうど100km第3ウェーブの関門時刻だったようで、賑わっていた。

うどんエイドでは、食欲がなかったが、少しだけ食べたくて、うどんを一本だけ入れてもらった。面倒なリクエストに応えて下さったスタッフの方に感謝。

98.3km 通過11:26

ここに計測ポイントがあるので、関門通過したと勘違いした人はいなかっただろうか?私は去年、直前で気づき、慌てて600mダッシュする羽目になった。

去年、ものすごく遠く感じた西湖公民館関門98.9kmは15:30前に通過。ペースはエイド込みで7’20”まで回復した。

残り20kmを3時間半。大半を歩いても間に合う。キロ7分30秒が出せれば14時間も切れる。という事で、このエイドも長居はせずに出発。

復路の足和田では熱いお汁粉。餅は入っていなかったが、甘さが染み渡った。今回のベスト補給食。

この先は、河口湖南岸で、初めて走る道。もはや歩き交じりになってしまった。次のエイドでお粥を頂き、中盤から気になっていたシューズ内の異物を除去した。今回、椅子に座ったのはここだけ。

108.3km 12:49通過

完走が確実になって、実は、残念ながら、集中力が途切れてしまった。ステラシアターに戻る坂も歩く時間の方が長く、最後の3kmの登りは一歩も走れなかった。このままでは、今日のここまでの時間が無駄になりそうな気がして、「あと2km」の表示を見てからは、遅いながらも走った。ラストを下り坂にしてくれた、コース設計者に感謝。

ゴール前ではたくさんの声援受けつつ、14:24フィニッシュ。

完走出来て、1年前の雪辱を晴らして、しかも制限時間にはかなり余裕を残してのゴールだったので、満足のいく結果だったといえる。にもかかわらず、最初に感じたのは、コースに対しての敗北感、そして最後まで緊張を保てなかった自分に対しての不満だった。途中見かけた安定した走りをするランナーたちのことが印象に残り、それと自分を比較してもいたようだ。

とはいえ、少なくとも100kmまでの走りは1年前とは別人のようにしっかりしていたし、100kmの自己ベストも1時間近く更新した。何より、完走率50%の厳しいレースを最後まで楽しめたのは次への自信に繋がるのではないかと思う。 次回出るとしたら、もう少しうまく走りたい。

フィニッシュ後から翌日

当然のことながら筋肉痛。特に左足のハムストリング。また、右足のかかとが痛んで普通に歩けない。去年の夏に突然痛み始め、医者に見てもらったら、かかとの骨がもともと尖っていて、炎症を起こしやすいらしい。フルマラソン程度では平気なのだが。これを書いているのは水曜日の深夜。わずかに痛みは残るが、ほぼ普通に歩けるようになった。ランニングはもう少し自粛。

ランニング記録をつけてみる

2012年に初めてフルマラソンに挑戦して以来、毎年走っている。

最初はもちろん完走が目標で、ふらふらになりながらも、かろうじて5時間以内でゴール。その後数年、完走はできるものの、4:30前後で停滞して、なんとなくマンネリ。

その頃興味を持ったのが、ウルトラマラソン

フルマラソン2回分を超える距離は、さすがに想像を絶する。そこで出会ったのがマラソンランナーのブログだった。

完走記にしろ、リタイヤ記にしろ、生々しい記録は非常に参考になった。その後、マラソン練習法(日記)、シューズ、ウェア、補給、フォームなどのノウハウは、ほとんどブログから得たと言って良い。

僕のランニング記録も、もしかすると同じようなレベルの人の参考になるかもしれない。

と思って書いてみる。